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エッセイ「葛西善蔵被害者の会」に向けてのメモ①

Wikipedia石坂洋次郎の項目を読んでいたら、「来歴・人物」の冒頭に、次のような記述があった。

弘前市立朝陽小学校、青森県弘前中学校(現在の青森県弘前高等学校)に学び、慶應義塾大学文学部を卒業。大学時代、心酔していた郷里の作家葛西善蔵を鎌倉建長寺の境内の寓居に訪ねるも、酒に酔った葛西から故郷の踊りを強要され、さらに相撲で捻じ伏せられた上、長刀を頭の上で振り回されて幻滅と困惑を感じる。」

 

これはぜひ、石坂の原文にあたりたいと思うが、以下備忘録として書いておく。

とにかく若き日の石坂洋次郎が不憫でならないのだが、立ち止まってそのときの状況を想像してみると、尋常ではないすごみを感じてしまう。

憧れの作家をたずねたら、同郷のよしみでというのことなのか、「故郷の踊りを強要され」た。ここまでは、理解できないこともない。葛西の望郷の念の発露・・・と好意的にも判断できる。強要かどうかは「志願か強制か」みたいなもので、当事者によって評価が異なる微妙な問題だ。酒席での娯楽が限られていた当時、踊りという選択肢もあったのかもしれない。

「ん?」となるのは「相撲でねじ伏せられた」との記述である。これも娯楽が限られていた・・・と言えなくはないが、葛西は石坂よりも一回り以上も年上である。おそらく当時は30代なかばから後半。酔って「相撲をとろう」というのは、まあ愛嬌の範疇だが、それにしたって「ねじ伏せ」なくてもよかろうと思う。石坂はこの段階で「あれ、この人酒乱かも・・・」と気が付くべきだった。相撲を教えてくださりありがとうございましたとお礼して帰るべきだった。

最後の「長刀を頭の上で振り回されて」という段になると、これはもう常軌を逸しているのである。というか、相撲をとったあと、この二人に何があったのか。なぜ家になぎなたがあるのか。なぜ「頭の上で振り回」す必要があるのか・・・疑問が芋づる式につながって、感興をおぼえるほどだ。

 

と、このあたりまで考えて、このメモを文字として残しておく必要を感じた。

こういう変な話は「おもしろい」から、いろいろ集めてまとめたら、良いヒマつぶしになるだろうと思ったからだ。

だから、これから暇なときは、葛西善蔵の被害に遭われた方々の回想を集めて、整理していきたいと思う。結果的に、葛西善蔵のかなしみや苦悩の深さについても、浮き彫りになる(かもしれない)。すでに同種のアンソロジーなどがあるかもしれない。

また一つ、興味が増えた。