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映画メインで諸々の感想を

『ひるね姫』よりはマシ 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』28点

前作はDVDで観て、楽しかったんです。

音楽の使い方が上手で、バカっぽい演出も楽しく、肩の力を抜いてみることができるエンターテイメントとして、それなりに良い思い出になってるんですよね。いやあ、ほんとうに、いい映画でしたね。

で、今回のリミックスですが、正直、冒頭の数分以外はきつかった・・・。

冒頭はいいと思うんですよ。
変なモンスターとのバトルを背景に、「キー坊」みたいなやつが悠々と踊ってるあの感じ。

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「いいですね~~」
と思いながら観てました。
こんな感じで変なモンスターがどんどん出て来たらいいな~と思ってたんですが、冒頭がハイライトでしたな。

 

宇宙が舞台なんですよね?

広大な宇宙ということなんで、なんか見たことない生物とか見たいんですけどねえ。

ほとんどみんな、人間やん。
体に絵の具を塗ってるだけやん。
基本二足歩行ばっかりで、絵的な面白さに欠けてるんじゃないかと思います。
観れば観るほど、残念さが増していくという映画でした。

 

今回は、話が散らかっていて、登場人物は全員頭が悪く、誰にも共感できないのもしんどいかったです。
期待していた音楽も微妙。
なにが面白いんだろう・・・と思いながら観てました。
『ドクターストレンジ』のボス戦のときのような、CG全開で色とりどりのモンスターとか宇宙とか星のなかとかが沢山出てくるけど、ああいうヴィジュアルも全然惹かれないし。
会話もカメオ出演も、気の利いたギャグのつもりか知らないが、全然笑えないし。
というか、スタン・リー、お前出すぎ。
周囲の人間、「爺さん、サムいから引っ込め」って言ってあげた方がいいと思うよ。
下ネタいうならちゃんと言えよと思うし、「え、ここは笑うところなんですか?どうなんですか」と気になって、置いて行かれてる感じがしました。

きっとマーベル映画とは相性が悪いんでしょうね・・・
どんどん罵詈雑言が加速してしまうんですが、そもそも、20を越えた大人がはしゃいで観るような映画じゃないと思います。
映画秘宝界隈のはしゃぎっぷりを観ていると恥ずかしい。
あの界隈の人たちは、ほんとうに良いと思っているの???
推測するに、なんか色んなアメコミのキャラクターがごちゃごちゃ同居しているプロレス感が好きなのかね。
それぞれが物語を背負っていて、別の世界に生きているはずのキャラクターたちが、映画で活躍している感じが好きなのかなあ。

あと、あれはもうやめてくれ。
最後に時限爆弾を設置して、カウントダウンがはじまって助かるかどうか・・・みたいなの。
あれはもう、映画業界で協定をつくって、数年間禁止しろ!!
冷めるから。

 

これに金払うなら、ブックオフで100円で手塚治虫を買って読むべし!!!
ひるね姫』よりはマシだったのが、救い。

「キー坊」みたいなやつも、それなりにかわいいし。

上半期の収穫 『22年目の告白』 81点

気分転換になるような、ボーっと眺めるような映画がいいなあ・・・

と思って、ほとんど情報がないまま映画館へ。
なんか思った以上に若い人が多くて、「あれ、間違ったかも」と早くも焦り気味。
「そういえば、俺は藤原竜也がいい感じで映っているのを見たことないよな、髪型いつも一緒だし、演技もいつも一緒だし・・・あ、伊藤英明もいつも同じ演技だよな」とか考えていると上映開始。

とにかくよかった。
どんでん返しの復讐モノというのは僕の大好物なのだと気づいた次第。

ミステリーじゃなくて、サスペンスなので、後だしジャンケン的にいろいろ明らかになっても、全然OKだし、心地いい。
メディア(テレビ、ビデオ、youtube)が重要な小道具になっているのも、なんか面白い。

この手の映画は、「誰が犯人か」を勘で予想しながら観てしまう。
この映画の場合は「絶対伊藤英明が犯人、伊藤英明が犯人」と根拠のない自信を持って観ていたが、はずれた。予想が外れたのも心地よかった。
藤原竜也の金太郎飴感が、完全に良い方向に出た作品でありました。

『サイタマノラッパ―』は、まあまあ面白いかな、という程度だったので、今回のこの映画は当たりだった。入江監督、どんどんメジャーで撮って、しょうもないクズのような映画を量産する人びとを蹴散らしていただきたいです。

個人的ハイライトは、肝心なところで日和る「帝談社」の「美人若手編集者」に藤原竜也が詰め寄る場面。

『恋人たち』に出てた片腕の無い人が、がっつり出演してるのもウレシイ(ただ、あの役は脚本上の必要性だけしか感じなかった)。

駄目だなと思ったのは、阪神大震災の描き方。まあ、東京の人にはあんな感じなのかね? 中村トオルの演技は、やや過剰。新境地かも。

ちなみに、韓国映画のリメイクとのことだが、元の映画は観ていない。
そのぶん、とても楽しめた。

こういう出会いがあるので、やはり映画館は楽しい。

変な映画 『ハクソー・リッジ』 74点

沖縄戦が描かれると知って、観に行った。

宗教上の理由で良心的兵役拒否者になることを選んだが、パールハーバー後に愛国心から志願して兵士になった主人公。しかし、武器は持たず、衛生兵として仲間を助けることで戦争に参加する。
実話とのことで、「信念を貫いたんだなあ」と感心したが、ここでは映画のなかで描かれた主人公について述べる。
この主人公、自らが暴力の主体になることを過剰に避けるのだが、戦争そのものを否定するわけではない。あくまで個人的な信条として「自分は武器を持たない」ことを貫くわけだ。
これは徹底した個人主義で、隣で見方が撃っても、撃たれても、その暴力についてはあるがままに受け入れ、ただただ目の前の人を治療するのである。主人公は、たとえば国家や軍隊について、疑問をもったりはしない。過酷ないじめにあっても、不条理にあっても、(もちろんそれなりの葛藤は描かれるが)聖者のようにそれを受け入れてしまう。、
そのせいだろうか。映画を観ていると、戦争というよりも、なんだか過酷な天災・あるいはSF的な地獄状況を見ているような、変な気持ちになった。

戦場の場面はさすがに圧巻で、時間が短く感じたほどだが、その対比で、前半の恋愛の場面が退屈だった。最初から最後までずっと戦場を映してくれたら、より「エンターテイメント」として上質になったのではないか。あえて「エンターテイメント」という言葉を使うのは、前述のように、主人公の徹底した個人主義とその背景にある愛国心のせいで、「戦争映画」として観られなかったからだ。

前半部の恋愛の場面は、ひたすら退屈。出会いの「一目惚れ感」はダサいし、その後のアプローチも変だった。ただし、「あ、この主人公はちょっと変な人なんだな」というのはよくわかったので、それは良かったのかもしれない。

一緒に苦労した仲間が死んでいく・・・という話は、やっぱり面白いのだが、「戦争」を描いているのに、戦争という感じはしなかった。あと、取って付けたような日本兵描写にも注目。

上映後、公式サイトを観た。
公式サイトには、必ず「コメント」欄に著名人の推薦コメントが載っているが、あれを読むと、コメントを寄せている著名人が全員頭悪く見えるし、読むほうもげんなりするから、ああいうのやめたらいいと思う。もちろん、それを承知でコメントを寄せているんだろうし、断り辛いのかもしれないから、「頭悪い」とか言うのは良くないとは思うのだが・・・。しかし、それでもあんまりである。
「お前ほんまに映画観た? 寝てた?」というのもあって、それはそれで面白いと、楽しむべきなのだろう。
でも、やっぱり、それよりはパンフレットに載っている長めの解説の半分くらいを載せて、「続きはパンフレットで」というほうが、まだ読みごたえがあると思うけどな。

 

円環の言葉と時間 『メッセージ』66点

 最近なにかと忙しく、映画館に行く気になれなかった。

しかし、気分転換には映画が一番。携帯も切るし、余計なことは考えなくていい。


ということで、黒くて長くてデカい物体が浮いてるというヴィジュアルが強烈な『メッセージ』を観てきた(現代のアライバルの方が良いとおもうが)。
あと、こういう「未知との遭遇」系の映画は、宇宙人の見た目も気になる。

結論から言うと、ちょい既視感があった。
円環構造の物語(これと宇宙人の表意文字がリンクしている)。
頭のいいデキる女性言語学者が頑張って「メッセージ」を解読して世界の危機を救うという物語。
宇宙人のタコ的ビジュアル。
この辺は、またか、という感じがどうしてもしますな。

あ、面白いなあという描写もあった。
時制のない宇宙人の言葉を学ぶ過程で、諸人口は未来がチラホラ見えるようになる。
その未来の見え方が、「フラッシュバック」っぽくて、過去の話に見えてしまう。
そのあたりの演出は上手で、冒頭のシークエンスが上手に活かされていた。

ワンアイデアで乗り切る小品としてパッケージされていたら、もっと面白く観れたかもしれないが、宣伝でハードルが上がり過ぎたかもしれない。

あと「あ、これは意外と省エネやな。金かかってないな」と何度か思った。
ということで、66点。

野心作だが、やや冗長、とても散漫 『バンコクナイツ』61点


富田監督の『国道20号線』は忘れがたい名作。
その後の『サウダーヂ』は見逃してしまい、残念な思いをしたので、今回の『バンコクナイツ』は期待して行った。
勝手に期待していただけなのだが、ちょっとキツかった・・・

娼婦・貧困・植民地・ベトナム戦争・クズの日本人という要素が詰め込まれているが、なかなか話が進んでいく感じがしないのだ。

もちろん、名作『国道20号線』だって、話はあってないようなものだと思うが、『バンコクナイツ』の場合は、(感覚的にいうと)「画が物語のドライブを求めているのに、製作者たちがそれを求めていない」のだろう。


では、物語のドライブを求める画、とはどのような画なのか?
たとえば、夜のバンコクの高架道路を、娼婦ラックが乗ったトゥクトゥクが疾走する場面。
ラックの故郷で、主人公たちが夜の町をバイクで移動する場面。
バックパッカーたちが戦争の跡が残る大地を歩く姿を空撮で撮る場面。
タイに遊びに来たクズの日本人たちも、貧困にあえぐ村からバンコクに身体を売りにきた女性たちも移動している。
こうした印象的な「移動」の場面が多く、「ああ、いい映像だなあ」と感じるのに、物語は非常に散漫で、退屈だった。
高いハードルに挑もうとしている気概はよく伝わってきたし、とても貴重な試みだと思うのだけれど、失敗作だ。

それでも、ものすごく良かったのは、劇中に流れる音楽だ。
田舎町のバンドが演奏していた曲は、歌詞が字幕で流れて、グッと来た。
ラックの田舎で、宗教者のおばはんが語りながら歌うような場面があったが、ああいった場面もドキュメンタリー的なリアリティが溢れていて、忘れがたい。

あと、ナントカとかいう名前の伝説上の龍が川に現れる場面。
そっけなさすぎる。贅沢な使い方と言えるが、やはりもったいない。

 

ちなみに、キネマ旬報の2017年2月下旬号のレビューを見たら、また中条とかいう人がテキトーな褒め方をしていて、ウンザリ。褒めるのも雑誌の重要な仕事だと思うが、とってつけたような褒め方。手抜き。
でも、五所純子さんの評論には、我が意を得たり!特に、最後の方のラックのビンタについてのコメントはほんとその通り。この人の文章をもっと読みたいと思った。

 

画面がゴチャゴチャしてて、うるさい 『ゴーストインザシェル』43点

原作マンガは読んでいないが、押井守のアニメーションは観たことがある(記憶はあやふやだけど)。
アニメーションに忠実な実写映画だと思った。
原作マンガ(アニメーション)を実写化すると、ファンを含めて「これは違う!」というような異論が噴出するが、この作品はどうだろう。忠実に映像化しすぎて、なんか変なところもあった。
全体的に、「画面の座りが悪い」というか、絵として定まっていないという感じがするのだ。

香港を思わせるネオン街、ホログラムの巨大広告や街にたむろするサイボーグたち。
未来の猥雑さを一生懸命細かく作ったんだろうけれど、作り込み過ぎ!
観客としては視点が散って集中できない。
他方で、アクションシーンの作り込みは全然たいしたことなくて、派手な音でごまかされた感じがする。
ゴチャゴチャしてて、何がどうなってるのかよくわからない。
最後のバトルシーンでは、主人公の動きがあきらかにカクカクしてる瞬間があった。

スカーレット・ヨハンソンの顔と身体、動きにも違和感があった。彼女は人間離れしたものを演じることが多いようで、それもあってのキャスティングなのだろうが、動きが変だ。脳以外は機械なわけだから、違和感があって当然なのだし、私が「違和感」を持ったのも織り込み済で、あれはすべて演出なのかもしれないけれど、やはり気になるものは気になる。

あの肌色のボディスーツも、なんかダサい。アニメの方がかっこよかったかな。

「過去の記憶(何をしてきたか)じゃなくて、現在(いま何をするか)が、あなたを決めるのよ!(だからあなたは人間なのよ、大丈夫なのよ!)」みたいなメッセージが何回か繰り返される。
それは確かにそうだが、アイデンティティは過去と現在の統一性だと思うので、「何をするのかがあなたを決めるの」と言われても、それは筋違いではないか。もっとも、桃井かおりと「再会」して、記憶の手がかりを得るのだが。しかし、明らかに中国だとわかるハチの巣のようなマンションの一室に、日本のひな人形などが飾ってあると、繰り返しになるが、違和感を禁じ得ない。
話を戻すと、過去にとらわれることはない!というメッセージは、アジアの一都市を舞台にしているが無国籍性の強いこの映画のなかでは、「アメリカ性」が突出している気もした。
これから「何か」になっていこう!というようなbecomingな心性が、よくもわるくも強い。 

たけしの活舌が悪すぎるので-10点

桃井かおりが意外だったので+5点

そもそも巨大なゴリラという発想に乗れない 『キング・コング 髑髏島の巨神』51点


ゴジラ(2014年のほう)』が好きだったので、同じシリーズときいて楽しみにしていたが、フツー。
同じ監督だと思ってたら、違ったし。

あらためて2014年の『ゴジラ』の面白さに気づかされた。
そもそも、ゴジラは作品ごとにゴジラの形状が大きく変わるので、「今回のゴジラはどんなゴジラだろう」という楽しみがあるが、キング・コングの場合、それが皆無だとは言わないにしても、やはり薄い。ゴリラだし。

で、この映画はというと、かなり早い段階でコングが出てきて、「お、これは面白いかも」と期待するも、そこから話は髑髏島にいくパーティの紹介になる。ヒトクセもフタクセもありそうなメンバーを集める場面は、こういう映画の見どころだと思うが、なぜだろう、ツマラナイ。


あっ、と思ったのは、ブラボー作戦に代表される南太平洋でのアメリカによる核実験が、実は巨大生物を倒すためだったのかもしれない、という解釈が示されていたこと。これは、2014年のゴジラと同じだと思った。
時代設定は、ベトナム戦争終結(アメリカからみれば敗北)直後。
だからなのか、髑髏島でアメリカのヘリがバタバタとコングにやられる場面は、「アメリカへの祟り」を思わせて、ウーンと考え込んだ。なぜかというと、どうせベトナム戦争を意識するなら、もっともっと過酷な「行軍」を描くべきだと思うのに、本作はどこか楽しいからだ。いや、キングコングだし!エンタメだし!と開きなおり切れていないように思う。

それでも、密林が焼けていく緑と赤のコントラストや印象的な夕日など、ベトナム戦争映画で観たイメージのremix感は良い。ニクソンの人形の使い方も笑った。

 

ただ、非常に散漫な脚本が、どうしても気になる。

せっかくの巨大生物たちがあまり行かされておらず、お化け屋敷的な興味しか引かない。ボス的な地底のトカゲも、エヴァの使徒にしか見えず、ビジュアル的な面白味にかけた。
白鯨のエイハブ船長よろしく、異常にコングにこだわるサミュエル・L・ジャクソンの狂気も、おもしろいが凄みが出ていないように思った。

気になるといえば、中国人キャスト。
レジェンダリーは中国資本の傘下にあるからか、どう考えても物語に必要ない女性キャストが配置されている。
ああいう使い方は、俳優にも失礼だし、印象も悪いから逆効果だと思った。
とはいうものの、たとえばハリウッドの大作(?)に日本人キャストが起用されれば、日本のメディアはほぼ間違いなく大きく報じるし、それによる宣伝効果もあるだろうから、経営側としては必要なのかもしれない。商売だからなあ。

そういえば、残留日本兵「イカリ・グンペイ」なる人物と米兵との友情という要素も、「これ必要?」って感じがした。監督が日本のサブカル好きらしいので、監督なりの日本文化への敬意だったのだろうか?

とにかく、肝心のキング・コングに魅力がなかったのが残念。
ゴジラに較べるとコミュニケーション可能な感じがするので、味方っぽくて怖くないのだ。

忘れがたいのは、米兵の一人が爆薬を持って怪物と心中を図るシーンの、無慈悲っぷり。
ああいうのがもっと続かないと、観客が登場人物たちの絶望感を追体験できないので、悪い意味で「安心して」観てしまう。