僕も書きたい「食エッセイ」
食べるのが嫌いな人は、一人しか知らないけれど、その人だって、生きている以上は食べているわけだし、空腹のときに何か口に入れたら「おいしい」と感じているはずだ。
「海外旅行に行ったことがないんです」という人はいても、「食べたことないんです」は基本あり得ない。
だから、食エッセイが尽きないのも当然である。
グルメ漫画も、テレビの食ルポ番組も、尽きない。
メディアが食を伝えるのは、安易な企画ではなくて、王道なのだ。
それでは自分でも書いてみようと思った。
が、書けない。
本や映画の感想は書けても、食事の感想についてはとてもムツカシイ。
自分の能力の問題もあるだろうが、そもそも、味に関しては語彙が限られている。
「おいしい」「うまい」くらいしか思い浮かぶ言葉がないのだ。
無理にたとえようとしても、なかなか良いのが出ない。
というか、これまで自分は何かを食べ物にたとえたことあっても、食べ物を何かにたとえたことはほとんどないと気づく。
味は書けないと諦めて、食べ方とか、何を考えて食べてるかとか、そういう自分の行動を書いてみようとしても、やはり上手く行かない。
食べているときの自分はなかなか客観視できないので、自分がどうやって食べているか、よく覚えていないのだ。
夢のように、すぐに忘れてしまう。
そこで、偉大なる先達、東海林さだお先生の「丸かじり」シリーズから、一冊手に取ってみた(暇だというわけではありません。一種の現実逃避です)。
なるほど、さすがは、東海林さだお。
一読しての感想は、食べる前の妄想(おかずや肴を口に運ぶ順番・タイミング)が多いと言うことだ。
さらに、他人の観察。ほんとによく人を見ているなという感じ(現にいま、下町の喫茶店にいるが、16時を過ぎた時点で、小太りの女性が一人で入店。少し照れたように「チャーハンを」と注文し、タバコに火をつけた。その人の少し照れた感じを、その人に憑依してアレコレ書いてみるという手もある)。
当たり前のことだが、要は、最初から今日の食事を書くつもりで食う、というのがポイントなのだろう。
しかし、東海林さだおのエッセイは商売だが、僕はただの趣味だ。
飯くらい、何も考えずに食べたい気もする。
腹が減ってたら何でもうまいし。