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散漫で浅いが、フィリップ・ロスの原作が読みたくなった 『アメリカン・バーニング』57点

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ユアン・マクレガーが監督・主演を務めたという本作。

日本では劇場公開されなかったが、DVDで鑑賞できる。
この作品をなぜ知ったかというと、原作がフィリップ・ロスの『アメリカン・パストラル』ということでつながった。

しかし、なぜ映画の邦題を『アメリカン・バーニング』にしたのか。安易でダサい。


フィリップ・ロスの小説は、最近一作品が新潮文庫に入ったし、柴田元幸訳のハードカバーも新刊で買えるが、ほとんどは古書でしか入手できない。

フィリップ・ロスには大江健三郎と似ているところがあるので、以前から気になっているが、それを書けば映画からどんどん離れるので、ここでは「フィリップ・ロスを読む代わりにまずは手軽に原作として使われた映画を観ようと思ってググったら、『アメリカン・バーニング』に出会った」ということにして、映画の内容に入ろう。

舞台はニュージャージー州ニューアーク。語り手は60歳をこえた小説家である。若いときには寄りつかなかった同窓会に久しぶりに出席すると懐かしい顔と出会った。その同級生の兄(ユアン・マクレガーが演じる)は、田舎町のスターだった。父親の手袋工場は繁盛して金持ちで、スポーツ万能でハンサム。誰もが憧れるその男について、弟は「人生がめちゃくちゃになって、死んだ。自分は葬式のために戻ってきたのだが、タイミング良く同窓会があったので出席しているんだ」と聞かされる。語り手は当然おどろく。あの輝いていたお兄さんの、「人生がめちゃくちゃ」になるなんて・・・


そして、映画はそのお兄さんの人生の話になる。「ミス●●」の美しい女性と結婚し、一人娘を授かり、工場もうまくいっていた。吃音の娘について、カウンセラーに相談すると「完璧な父と母に対する緊張・あるいは抵抗として、吃音症状が出ているのかも」と指摘されるが、両親は当然それを信じようとしない。しかし、この言葉は、映画全体を貫く「予言」でもあった。さて、破局の予兆は成長した娘を通して現れる。高校生になった娘がベトナム反戦運動に没頭し、ラディカルな運動にのめり込んでいくのだ。
娘の運動は、とうとう、近所の郵便局を爆破して警察の捜査の対象となり、地下に潜伏するというところまでいく。ユアン・マクレガーは、姿を消した娘を探し続けるが、その妻はなんとか娘を忘れようとする。一時は精神のバランスを失うも、整形手術により過去を断ち切ることに成功した妻は、恋愛にも積極的になっていく。


いろいろあって、ユアン・マクレガーは娘に再会。娘はインドの宗教にのめり込み、「生命を奪わない生活」と称して、風呂にも入らず、口を布で覆っている。不思議なことに口を覆った状態で話せば、吃音が出ないという。このあたりの父と娘の会話がよくできていた。最後はユアン・マクレガーの葬式に、遅れてやってきた娘の後ろ姿で終わる。

 と、あらすじを書けば「面白そうじゃん」と思われるかもしれない。実際、面白そうな映画ではある。

 しかし、この映画は肝心なところがかけていないと思った。ユアン・マクレガー演じる「完璧な男」の問題がうまくかけていない。事実、60年代において、黒人労働者にも寛容で、黒人暴動の際の対応が市から表彰される「名士」であり、真面目な経営者でもある彼が、なぜ「めちゃくちゃ」になってしまうのか。厳格なユダヤ教徒である父の影響は? それが家庭に及ぼした影は?

 そのあたりの掘り下げ(あるいは監督としての理解の提示)が不十分であり、単なる「かわいそうな話」になっている。タイトルからして、この「完璧な男」と戦後アメリカを重ねるしかけになっているのだと思う(思わせぶりにアメリカ国旗が出てくる場面もある)が、どう重なるのか、よくわからない。


原作の翻訳はないから、たぶん読まないと思うが、映画は、どうも未消化な感じがぬぐえない。ユアン・マクレガーが「悲劇の主人公」を演じているだけに見えたのが残念だった。
 唯一よかったのは、『デトロイト・ビカムヒューマン』でKARAを演じていた女優(名前は知らない)の演技と、主人公の父親の毒舌である。