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20分くらいの短編映画にすべき 『15時17分、パリ行き』53点

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イーストウッド監督作はいつも評価が高く、熱心なファンが多い。
父親たちの星条旗』みたいな大作も作れば、『グラントリノ』のような佳作も撮る。
俳優としてはもちろん、監督としての評価ももはや揺るぎないわけだが、今回はいかがなものか。

列車内でのテロに遭遇した若者たちの実話で、演じる三人のアメリカ人はみな本人・・・という程度の前情報しかなかったので、三人の子ども時代から始まったときは、「あれ?こんな映画なん?」と肩すかしにあった感じ。三人は大人になってからも変わらぬ友情を保ち続けている。
なかでも、ミリオタのぽっちゃりした男の子に焦点が絞られる。
彼は、軍(パラシュート部隊だったか?)に憧れて、一念発起。体を鍛えて入隊するも、適正がなくて当初の目標だった部隊には入れないという挫折を味わう。
で、久しぶりにみんなであつまろう。みんなでヨーロッパ旅行だ! と盛り上がって、その途中の列車でテロに遭遇する。

鑑賞中に思ったのは、肝心のテロまでの描写が長すぎるということ。
イタリア、オランダの旅がロードムービー的に、だらだらと撮られる。

もちろん、実際にテロに遭遇した三人が「再現」しているわけで、そういう意味では味わい深いのかもしれないが、さすがに長い。長すぎる。

オランダでのナイトクラブの場面。ベネツィアでのキレイなお姉さんとの会話。ああいう場面がほんっっとうに退屈だった。
このあたりはイーストウッドも自信がなかったのだろうか、観客の興味を持続させるために、断片的にテロの映像を小出しにするという演出が採られている。これも、なんだか安易だなと思った。

「再現」へのこだわりは相当なもので、パリ行きの列車は、実際のテロが起きたのと同じタイプの車両を、同じ時刻に走らせ、そのなかで撮ったそうだ。乗客たちも、警官や救急隊員たちも、事件に遭遇した「本人」たちが出演しているとのこと。ということは、撃たれたあの叔父さんも、主人公が手を貸してあげたあのお年寄りも「本人」なのか! それはそれで新鮮な驚きだ。
極めつけは、最後の場面。フランスの大統領から勲章を授かる映像だ。どこまでは実際の映像で、どこからが取り直したものなのか、判別しがたいくらいに徹底して「再現」されていた。
そういう意味ではドキュメンタリー的で野心的だと思うが、肝心の「面白さ」がお粗末になっていはしないか。

「真実に基づいた物語」とアピールする映画が多い中、忠実に事実を再現しようとする試みは確かに興味深い。例えば、同じ監督の『アメリカン・スナイパー』のように、エンターテイメント化するのではなく(まあ、あの作品も最後はドキュメンタリー的だったが)、あくまで事実を淡々と再現することの意義はあるような気がする。でもそれが具体的にどのような意義なのか、僕自身まだわからない。
わかるのは、退屈だったということだ・・・
事実を事実として映画化すれば退屈になってしまうという問題。
現実と虚構の関係を考えたくなった。変な映画だったが、この「変さ」には、何か面白い論点がある・・・かもしれないが、うまく言葉にならない。
ということで、戸惑いながら53点。