映画『ソーセージ・パーティ』 73点

近年話題になる3Dアニメは、「お子様にもおススメできます」という「正しさ」を満たしつつ、上質のエンターテイメントになっているものばかり。
そのレベルの高さに驚くとともに、食傷気味なのも事実。
バカっぽい3Dアニメがあってもいいと思っていたら、本作『ソーセージ・パーティ』が公開されていることを知った。

 

スーパーマーケットの商品(主に食品)を擬人化した3Dアニメだ。
スーパーの商品たちは、人間を「神様」と呼び、「神様」に選ばれてスーパーの外に出ることを夢見ている。商品たちは、スーパーの外が「楽園」だという神話を完全に信じている。
実は、この神話、賞味期限のない食品たち(たとえばウイスキー)が創り出したものだった。
食材たちは人間に食われるだけの運命に耐えられない。そこで、ウィスキーたちは、人間を神様だとみなし、神様に選ばれることは幸せなことだというウソを創ったのである。
主人公のソーセージは、神話のウソに気づき、他の食材たちと協力して、人間に食われるという運命に抗おうとする。
虚構から現実へと覚醒する食材たち・・・自分で書いていてよくわからなくなってきたが、こういうストーリーだ。

 

しかし、本作の魅力は、ストーリーにはない。
擬人化された商品たちの造形の魅力(特にガム)
随所にちりばめられたパロディ(ディズニーアニメのテイスト、ターミネーターなど)
圧倒的下ネタ(ラストの乱交)
もっとも唖然としたのは、食材たちが「自分たちは虚構の存在だ」と気が付くラストだ。

 

食材たちが人間と戦い、勝つ。
しかし、勝ったところで、彼らは人間に食べられるために作られ、集められた存在であることに変わりはない。
食材たちは、生の目的を独自に見つけなければならないが、それは難しい(映画のなかでは性の饗宴が楽しそうに描かれてはいたが、それは持続するものではない)。そう思うと、食材たちが人間に勝っても、単に「めでたしめでたし」とは言えない・・・

そう思っていたら、「自分たちは虚構の存在でここはパラレルワールドだ」と宣言する。
そして、時空を超えるマシーンを通って「こちら側の人間の世界」に来る、というラストである。


ここで観客は、うすうす感じていたことに、改めて気づかされる。
食材たちがそれぞれに抱える文化的・民族的多様性や性的な固定観念は、現実世界の私たちの写し鏡であるということを、映像的に納得できるのである。
もっとも、スーパーマーケットにあるのは、「商品化された文化的・民族的多様性」だという点も考慮したい。それでも、スーパーマーケットがこの世界を考える入り口になるのだと示している点で、おもしろい映画だった。

 

これまで一度も見たことがないタイプの映画であり、その意味では忘れがたい。もう一度みればいろいろな発見があるのかもしれないが、そういう気になれないのも、この映画のサッパリした美点だ。
こうした作品にそれなりのお金をかけられるアメリカが、少し羨ましい気がした。