一人で必死に考えている人

昔、小説家になりたかった。
いまも少しその気持ちは残っているが、現時点では何も書いていないから、なれる見込みはゼロだ。
だからというわけではないが、他人が一生懸命書いている姿を見ると、熱くなる。

 

といっても、「他人が一生懸命書いている姿」を実際に目にする機会は少ない。

スタバ的空間の横を通るときに、「私、書いてます!書いてるんです!!どうですか皆さん?」という顔でMACをカタカタやっているファッション雑誌そのままな身なりの人間を見る機会があるが、なんか釈然としない。
やはり「書く」というのはどこか恥ずかしいもので、一人で集中するものだ。いや断言できないけど、そうあってほしい。

 

したがって、余計なことを考えずに「他人が一生懸命書いている姿」に触れるのは、フィクションを通してであることが多い。
たとえば、マンガでいうと『まんが道』『バクマン』『ブラックジャック創作秘話』。
先日観たのは、赤狩りでハリウッドを干された脚本家を描いた、映画『トランボ』。
(なんかもっとあるはずだが、全然思い出せない・・・)

 

しかし、フィクションの常で、主人公たちは基本的に絶対に成功する(脇役は夢破れたり、志半ばで筆を折ったりするが)。そうなると、小説家になれなかった自分は結局この物語では「脇役」なのかな……などと一人で感じて、苦い思いをすることになる。

 

では、そういう苦い思いをせずに、「一生懸命書いている姿」を観る機会がないのかというと、そうでもない。
代用品はある。

 

それは将棋だ。
長いときは二日間、大人が二人で向かい合って、必死で考えている。そして、必ずどちらかは負ける。
負けても終わりではなく、感想戦をして反省し、そしてまた次の対局にむかって準備をする。
もちろん、棋士は考えて指しているのであって、「書いている」わけではないけれど、なんとなく似ている気がして惹かれる。
ああでもないこうでもないと答えを探し続ける姿がカッコいい(強いとお金もたくさんもらえるし)。

 

翻って自分はどうなのか? 

いやでも、あんまり自分を問い詰めるとしんどいし、とりあえずちょっと昼寝してから考えるか。