ウスラデブ大百科

映画メインで諸々の感想を

ジャンル分けできない映画で、とにかくオモロイ。 『パラサイト 半地下の家族』 95点

 

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ケンローチに続いてわかりやすく格差社会を背景にしている。
ただ、『パラサイト』のほうがブラックで、笑えて、しかし怖い。
ケヴィン・スペイシーが出ていた『アメリカン・ビューティー』(1999)という作品を思いだしたが、それよりもずっと胸に刺さった。

 

低地に住んでいるその日暮らしの底辺層の家族が、高台に住む超金持ちの家族に入り込み、文字通り寄生していくのが前半。
前半は、やや長く感じたが、それでもコメディタッチが上手くいっていて、楽しくみれた。
後半は、ホラー・サスペンス的展開で、キツい暴力場面もある。
ソン・ガンホが「一番いい計画は、計画を立てないことだ。計画を立てても、その通りにいったためしがない」ということを述べるが、悲しい言葉だった。そのとき、ソン・ガンホは(就寝前ということもあり)右手で目元を覆っているため、彼の表情が見えない。
どこまで本気で言っているのか、わからない。冗談ともとれる余地を残しているのかどうか。それとも絶望しかないのか。
どんな表情をしているのか、見せない演出が冴えた場面だったと思う。

 

秀逸だと思ったのは、二点、
第一に、空間の捉え方、見せ方。
分かりやすく「上下」の空間的な格差を、登場人物たちの属性と結びつけて描いていた。
大雨による洪水の場面。諦めてタバコを吸う妹の表情が良い。
最後の方では、山に登って、高級住宅を眺める場面があるけれど、あそこも印象に残った。
格差を空間の「上下」「前後」で表すのは、ポンジュノならば『スノーピアサー』があり、バラードの『ハイ・ライズ』が思い浮かぶ。

あとは宮崎駿の『千と千尋』もそうか。
しかし、あんなに変な構造の家は、黒沢清の『クリーピー』以来。

 

第二に、においの描写。
金持ち夫婦の「底辺層は地下鉄みたいな、切り干し大根みたいな臭いがする」という描写が積み重なるのだが、胸が痛い。
臭いと言われるのは、ほんとうに辛いことだろう(自分も気をつけないといけない)。

金持ちコミュニティの描き方は、監督の一種の悪意を感じるほどに、観ていて腹立たしく、同時に薄っぺらくて笑えた。
だから、終盤の誕生会の場面は、映画『ジョーカー』的な「快感」と「絶望」とが爆発して、見事だった。

この一年ほど、話題になる映画には、必ずといっていいほど、格差が描かれている。
日本であれば震災以後、数年間は格差社会のことを忘れがちだったが、また震災前にもどって「格差」「ワーキングプア」「非正規労働」のイメージが、強まってきたように感じる。
イギリスの映画にも、アメリカの映画にも、韓国の映画にも、共通している。
それが資本主義の現在地であり、映画の観客のほとんどは(自分も含めて)映画館を出れば、好むと好まざるとにかかわらず、また競争の場に戻る。

あと、家政婦さんの「キム・ジョンウン」ネタが良いですね。

労働と生きがい、そしてお金について考えざるを得ない。『家族を想うとき』 99点

 

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舞台はイギリス北東部のニューカッスル
かつては炭鉱の街として知られたが、いまではサッカー好きの人が知っているくらいだろうか。
この映画は、その街に住むある家族の物語だ。

結論から言うと、早くも2020年度ベストの作品に出会った。
そう言いたいくらい、素晴らしい作品。
やや長いが、自分なりにあらすじを書いてみました。

背景にあるのは、2007年に起こったノーザン・ロックというニューカッスルの銀行の経営危機だ。アメリカのサブプライムローン問題によって、ノーザン・ロック銀行は経営危機に陥った。
これにより、住宅ローンが流れ、主人公のリッキーとその家族は住宅を失い、さらにリッキーは仕事を失った。
苦境に陥ったリッキーは、稼げる仕事を探す。
そして、フランチャイズ契約の宅配ドライバーとして独立する。
うるさい上司に命令されることもなく、自分の腕次第では高い報酬も得ることができる「良い仕事」に思えた(ちなみに、インターネットを通じて単発の仕事を受注する働き方や、それによって成り立つ経済形態のことをギグエコノミーと呼ぶらしい。UBERみたいなものか)。

やや話が逸れるが、労働者からみれば、ギグエコノミーはキツいことが多い。

まず、ほとんど歩合制。これは、やる気と時間がある人には良いのかもしれないが、怪我や病気になったときの補償はない。

雇用者は、労働者を独立した自営業者として契約するので、車代・ガソリン代は労働者の自己負担。社会保障費も当然自己負担となる。雇用者にとってはたいへん「お得」、労働者にとっては、弱肉強食の職場と言える。

 

さて、ぺこぱのように時を戻そう。

リッキーは職場で次のような説明を受ける。
本部の車を借りて宅配業務をすれば、毎日本部にレンタル料を取られる。したがって、宅配用の車を買った方が合理的だ。ローンでも良いから買うべきだと言われる。
しかし、リッキーには頭金の1000ポンドがない。
結局、妻のアビーの車を売ることで、なんとか自分の車を手に入れるが、妻のアビーは困惑する。
なぜなら、アビーの仕事には車が必要だからだ。
アビーの仕事はパートタイムの介護福祉士。老人や障害者を戸別訪問して、食事から排泄まで、身の回りの世話をする仕事だ。
戸別訪問には、車が必要なのだが、リッキーの車のために仕方なく、自分の車を手放す。移動はバスに頼ることになる。
でも、アビーが契約している介護福祉士のエージェントは、移動時間を「休憩時間」としてカウントする。移動中は給料がでないのだ。
つまり、アビーが車を手放すことは、同じ給料に対する拘束時間が延びることを意味していた。

こうして、リッキーとアビーは仕事に追われる日々を送る。
リッキーは一日14時間の労働を週に6日。
アビーは、バス停から子どもたちに電話をして、なんとか家族のコミュニケーションをとろうとする。家族の時間が削られていく。
リビングのソファで疲れ切って寝てしまった二人を、娘が世話してやる場面があったが、その場面がこの家族の状況を端的に示していた。

働きまくるリッキーだったが、息子のセブがケンカをして、学校から呼び出される。
しかし、リッキーは仕事を離れることができない。仕事を離れると罰金100ポンドを支払わなければならないからだ。
結局、妻のアビーだけが学校に行って停学処分の説明を受ける。
帰宅したリッキーは、学校の説明に納得がいかず、アビーを問いただすが、アビーからしてみれば「私に言われても困る。それなら学校に来てくれれば良かったのに」となる。

さらに不幸は続いて、リッキーは配達中に暴漢に襲われて積み荷を奪われ、高価なGPS機能付きの集荷スキャンを壊される。リッキー自身も怪我をして病院で検査を受けていると、本部から携帯電話に電話がかかってくる。
「代わりのドライバーを探さないと制裁金100ポンド。積み荷のなかにあったパスポート2冊の補償金が、1冊あたり500ポンド」
その電話に今度はアビーが激怒する。。。。
翌朝、それでも仕事に行こうとするリッキーを、家族は制止する。片眼が腫れている状態で、レントゲンの結果も出ていない。仕事どころではないからだ。
しかし、リッキーは家族を振り切って、車を走らせる。狂気じみたリッキーの横顔を映して、映画は終わる。

家族を楽にするための仕事が、家族のつながりを不安定にし、ひいては自分自身の人間性をむしばんでいくさまが、緻密に描かれていた。
わたしは、ダニエル・ブレイク』の姉妹編とも言うべき傑作である。

忘れがたいのは、次の二つの場面。
過酷な宅配の仕事が、楽しそうに描かれる場面がある。リッキーが車の助手席に娘を乗せて働く一日を映した場面だ。
仕事の内容を娘に説明しながら運転したり、荷物を手渡す時に客から娘がチップをもらったり、娘が不在票の記入を手伝ったり・・・
辛い仕事が、楽しそうに描かれていて、観客はホッとする。
しかし、後日、本部に行くと呼び止められる(以下会話を記憶で再現)。
「助手席に誰か乗せていたか?」
「俺の車だろ?(独立しているという契約じゃないか、娘を乗せてなにがわるい)」
「客からのクレームだよ」
ということで、楽しい仕事の記憶も、客と雇用主によって、後味の悪いものになっていまう。これが一つ目。

もう一つは、アビーが介護先で出会う年配の女性が、思い出話をする場面。
組合によるストライキで労働者が集まったときのこと。労働者たちのために臨時のcafeを開いたら、500人もやってきたと、懐かしそうに、どこか誇らしげに語る姿が良かった。

ぼくはamazonのヘビーユーザーだが、こうした働き方を人に押しつけることで得られる「快適さ」とは何なのか。こうした経済がいつまでも続くのか。疑問に思った。
疑問に思うと同時に、続くだろう、という予感も持った。
ネガティブな予測をしてしまう原因の一つに(あくまで一つ)、ギグエコノミーと労働組合は相性が悪いように思えてしまう、ということがある。
ギグエコノミーに集う労働者の働き方や生き方のモデルと、労働組合てのは、そもそも相容れない部分が多いのではないか。

ギグエコノミーに集う労働者は、「労働組合とか無駄」と切り捨てそうで、なんか「自己責任論」を悪い意味で内面化しているような自称「意識高い系」なんじゃないかと邪推する(邪推であってほしいです)。

あるいは、労働者同士がつながろうにも、そもそもそんな時間や労力がない、というのも考えられる。もちろん、そんな環境でも、人間同士のポジティブなつながりは必ず生まれるはずだけれど。

じゃあ、どうしたらよいのか。
地道な活動をしている人びとには敬意しかないが、それと同時に人びとの価値観を変えるための手がかりを求めたくなる。
労働者を搾取し尽くそうという雇用者側が「ダサい」「終わってる」と思えるような価値観。
ケン・ローチは、映画の中で一言もそんなことを言っていないけれど、観客の一人としては上記のようなことをウダウダと考えた。

 

あと、邦題をつける人、ほんとセンスないな・・・

原題のニュアンスを完全に消している・・・

もう一つ、パンフレットに「グラフィティ」が「落書き」と書いてあった。ケンローチは「落書き」とは呼ばないんじゃないかな。 

オカルト妄想少年を大人たちが甘やかす話 主要登場人物が全員変 『天気の子』51点

雨の東京がキラキラして見える美術が素晴らしい。
廃ビルの階段と合わせて、『言の葉の庭』を思い出した。
また、今作には『君の名は』の二人も出てきて、そのへんも得した気分。
監督は最後は賛否両論あるかも、と言っているとのことだが、最後はあれが正解だろう。納得できる選択だった。

 

でも、気に入ったのはそれくらい。
むちゃくちゃなファンタジーを絵と音楽で強引につないでいくあたりは前回と同じだが、今回は全然面白くなかった。
なぜだろうか。理由を自問自答してみると、要は主人公について行けないのだ。
15歳ってあんなに馬鹿か? 思春期を勘違いしてないか? というクエスチョンマークが終始頭から離れなかった。
主人公の男の子の精神、相当ゆがんでいると思うけどなあ。

逮捕されて意味不明なことをつぶやき、脱走。その後は、廃ビルで銃を持って警官と渡り合うわけだが、あのあたりはどこまでこの映画の中身を信じれば良いのか疑うレベルだった。

あと、水没してマンションに移ったおばあちゃん、「昔に戻っただけなのかも・・・って思ったりもするけれど」って、物わかり良すぎるやろ。

 

そもそも、離島から東京に出てきた家出少年という設定に冷める。
尺の関係があったのか、二人の両親の存在が完全に消されているのが気になった。

いや、それは設定で消してるんだっていうだろうけれど、自分の物語を展開するために、ボコボコと親とか子どもを殺した上で物語を初めて「感動できる話」を展開していくのって、なんか納得できない。主要人物がみな喪失感を抱えてるっていう設定にしたかったのか。孤児(的な)境遇は主人公の設定としては王道だから仕方ないとしても、ヒロインと小栗旬が声を宛ててる人の家族まで殺さなくても。

子どもの貧困うんぬんという議論を呼んだが、あれは自ら選んでいる(銃を撃って、警察から逃げている)わけで、現代社会の構造の問題ではない。だから貧困とは言わないと思うけれど、どうなんでしょう、自信ないですが、やや違和感。


とにかくむちゃくちゃで、この脚本で「よし、作品ができた」と思えるこの監督は、相当に変な人なんだなと改めて思った。

繰り返しになるが、絵と音だけはほんと素晴らしいと思いました!!

そういえば、感動させたいところで二人に空を飛ばせたり、でっかい雲を見せてみたりと、宮崎駿を思い出しながら見た場面もあった。
宮崎駿の新作が観たいなあ。。。

ナチ+バイオハザードで、お手本のような既視感 『オーヴァーロード』68点

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先日、クリストファー・ノーランの『インセプション』を再鑑賞したが、いい映画だったと再確認。映画館で観れるなら、いまでもお金払いたい。

 

さて、『オーヴァーロード』を観てきた。

あらすじはこんな感じ・・・

ノルマンディー上陸作戦の数時間前、ある部隊が行動を始めていた。
ナチ占領下のフランスに降り立って、ナチの通信塔(?)を破壊するという任務だ。
任務が成功すれば、ノルマンディー上陸作戦を有利に進めることができる。
しかし、目的の村に着くと、どうやら様子がおかしい。
ナチとの戦闘の中で、目的地の塔の地下に潜り込んだ主人公は、人体実験の現場を目撃する。
ナチは、最強の兵士を作るために、人体実験を繰り返していた・・・

 

このように要約したところで、すでにB級感がにじみ出る。
実際そのとおりで、それなりにハラハラ、それなりに爽快、俳優もそれなり、という「それなり映画」だった。
ただ、ホラー要素は薄い。静かなところで「ドーン!!」と大きな音が鳴ってびっくりさせるような、お化け屋敷演出にはややうんざり。

 

評価したいのは、敵役のナチ将校ピルー・アスベックさん。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』で、「バトー」(両目に丸くて黒いルーペみたいなのをつけてるガタイのいいおっさん)を演じていたあの人である。

 

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ファミ通.com」の写真が一番わかりやすいので、そこから引用



ナチの将校といえば、フィクションのなかでは、どんなに残忍でも許される。
というか、「どれだけ残酷な人間を作れるか競争」をするときのお題として、戦後は「ナチの将校」に焦点が当てられてきたように思える。


その点、序盤のアスベックさんは控えめでありきたりな悪に終始し、あまり見所がない。
しかし、後半は実験施設の謎の血清を打つことで、バイオハザードのボスみたいに変化する。

そこからの演技は迫真。

悪役を楽しんでいる感じが伝わってきた。

映画が現実を大きく離れて、ゾンビ映画になっていくのだが、残念ながらゾンビ描写も「それなり」。

最後の『アルマゲドン』的演出も「それなり」


どこかで観たことがあるような、演出ばかりで、新しさがない。

どこを切ってもB級で、世の中に存在しなくてもちっとも困らない映画だが、これを書いている私も「存在しなくてもちっとも困らない」人間なので、そう思うと、フシギと親しみが湧いてくる。

ニューヨークの図書館の映画を観た方が良かったかなあ・・・とやや後悔したが、それでも全然悪くない映画だとは思う。『ひるね姫』より100倍良い。

 

あれは僕のことを書いたんですよね、と言ってくる読者が恐い 『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』 78点

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サリンジャー野崎孝訳の「ライ麦畑」と、新潮文庫の『ナインストーリーズ』しか読んでないし、それを読んだのももう20年近く前だから、ほとんど記憶がない。
俗世を嫌って隠遁し、作品の発表をやめたという伝説は知っていたけれど、「ほ~ええ身分ですな」という感想しか持っていなかった。

しかし、本作を観て認識を改めた。
さっきwikipediaを見たらしっかり記述があったので、ファンには「常識」なのだろうが、第二次大戦の従軍と、ノルマンディー上陸作戦への参加、その後のナチの掃討作戦について全く知らなかった。
また、サリンジャーは戦後にデビューした人だと思ってたが、すでに1940年には作品を発表しているのも知らなかった。教えられることが多い。

で、興味深いと思ったのは、従軍中のサリンジャーが、ホールデンの物語を頭の中で書き続けていたという描写だ。戦争の後遺症で、一時は病院に入った彼が、なかなかホールデンの物語を完成させられなかった理由も、説得的に伝わってくる。兵士として戦争を生き抜くために、サリンジャーは頭の中でホールデンを生かしたが、自分自身の戦争体験とホールデンがあまりにも強く結び付いているため、戦後になってからホールデンの物語を書こうとすると、戦争を思い出してしまうのだった。

ここでサリンジャーはインド由来の宗教から瞑想を学び、自分と向き合い、書くための精神的な準備を始める。ようやく書き上げた『ライ麦畑でつかまえて』は、一部の編集者から不評を買うが、ホールデンは彼自身と不可分である。だからサリンジャーは、描き直すこともしないし、ホールデンが狂っていると言われると、自分のことであるかのように傷つき、怒る。
なにが言いたいのかというと、この映画をみて、「戦争文学としての『ライ麦畑でつかまえて』」ということを思ったのだった。もちろん、誰かがすでに何か書いているだろうから、また本屋で立ち読みしてみよう・・・と思ってググったら、ちゃんとあった。

金原瑞人「戦争とサリンジャー」 - 白水社

もう一つ、従軍する前に付き合っていた彼女が、戦争中にあっさりチャップリンと年の差婚をしてしまい、人が信じられなくなる感じも面白かった。
厳格な父親の下で繊細な感性を守り続けたサリンジャーは、戦争体験を経て、無垢な子どもに惹かれ、汚い大人を極度に憎む作家になった。「普通」のレベルを超えた彼の創作態度は、成功後に「もう小説を出版するのを止める」とエージェントに告げるあたりの描写に、如実に表れている。
記憶が不確かだが、大体次のようなことを言っていた。「書くというのは、僕にとって祈りのようなものだから、それを商業出版で不純なモノにしたくない。だからもう出版しない」。

僕は祈るように書いたことはないけれど、芸術というのものはどこか「祈り」が入っているのかしら、などと、あれこれ夢想しながら帰った。
ブックオフに行けば村上春樹訳が安くであるはずだから、また読んでみようかな。

ちなみに、大学の創作科の講義を担当していたケヴィン・スペイシーの演技が良かった。

 

話は変わるが、4月は観たい映画が多い。

とくにこれ! 『希望の灯り

www.german-ex.com

心の底から感心した 『スパイダーマン:スパイダーバース』91点

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マーベルにもDCにも抵抗があって、ええ歳した大人が観るもんでもないし、どうせ勝つし・・・と思って馬鹿にしてた。いろんな有名キャラをどんどん集めるのも馬鹿っぽい。
それはもちろん製作者たちは一生懸命やってるでしょうけどね。
スパイダーマンも、テレビでやってるのを横目で確認したことがあるくらい。トビー・マグワイアのやつですね(今どこで何をしておられるのでしょうか?)。

で、半信半疑で鑑賞し始めたのだが、まず音楽が良かったのですっと入って行けた。
ビギーの曲が流れて、主人公がグラフィティ好きで・・・というのがかっこいい。
マンガのコマを意識した演出も良かった。洒落てるなあ!と圧倒されました。

 

順調にすすんでいったが、最初に躓いたのが、並行世界(マルチバース)の設定。
「なんでもあり感」が出る設定は好きじゃないなあ、と思っていたら、これが良かった。
個性的なスパイダーマンたちが自己紹介していくところの演出は、映画館で笑い声が聞こえて、僕も笑った。

唯一、ひっかかりを感じたのは、敵たちの動機とスパイダーマンたちの動機の関係。
あのすごい体型のミニオンズに出て来る感じの黒服の敵だが、彼が家族に会いたいという動機はよくわかる。よくある「失われた何かを取り戻そうとするマッドサイエンティスト」の一変種だから。
他方で、スパイダーマンたちはどうか。彼ら・彼女らは、元の世界に戻るために、敵の次元転換装置を作動させなければならない。で、一人一人が元の世界に戻ったあとに、最後に残った少年がそれを壊すという計画だ。
でも、これには疑問を感じた。あの黒服の男を殺すか捕らえるか何かすれば、装置を壊す必要はなくて、ゆっくり任意の時間に帰れるんじゃないかしら。

と、見当外れなことを書いたが、素晴らしい作品だと思った。

多様性がしっかり確保されていて、誰が観ても傷つかないつくりになっている。非常にレベルの高いエンターテイメントで、これを作れる人びとが集まるのだから、アメリカの底力を感じた。

豚のスパイダーハム、かわいい。

 

ドラえもんで観たかった 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』 74点

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原恵一監督ということで、世評の高い『大人帝国』は見たことがある。
「なるほど確かに良く出来ているな」と感心したものの、熱く絶賛するほどの作品なのかなと思っていた。
公開当初に見ていたら、昭和ノスタルジー批判という2000年代初頭の文脈を共有できたのかもしれない。それを思えば、やはり映画は公開当時に映画館で観るのが良いのだろう。

で、今回の『戦国大合戦』。
途中退屈なところもあったし、タイムスリップの方法・原因が全く説明されないので「あ、ちょっとついてないかも」と思ったけれど、終盤に感動の大きな波が襲ってきた。
「青空侍」なりに、「しんのすけ」らのタイムスリップを「合理化」する言葉があるのだが、なるほどなあと思いながら、泣いていた。

クレヨンしんちゃんは、特徴的な絵柄で、とても写実的とは言えない。そのキャラクターたちが、戦国時代の背景(こちらのほうは緻密に描かれていた)に重なることで、妙なリアリティが生まれていたと思う。
アニメーション映画だからこそ、(特に大人の)観客は物語の構造をよりストレートに受け止めることができたのかもしれない。
この映画から、たんに戦国時代のパートだけを抜き取れば、とてもベタな悲しい小話にしかならないだろうが、野原一家が揃って戦国時代に来ることで、ベタな話が相対化されて、にもかかわらずベタなところで泣かせるという、ひねった作りだった。

Wikipediaをみたところ、時代考証には力をいれたらしい。
なるほど! 合戦の描き方、とても新鮮に感じたが、あれは時代考証の成果だったか!!

 

ちなみに、最後にしんちゃんが最後に「金打(きんちょう)」をして余韻が残るが、その意味をYahoo!知恵袋で聴いている方がおられた。各々が好きに考えたらいいと思うけど、「答え合わせ」が好きな人もいるんだなあ、と感心。

 

最後に、全く関係のないことだが、僕はこの話を「劇場版ドラえもん」で観たかった。ドラえもんの映画は、悪くないと思うけど、行儀が良すぎる気がするなあ。3月に公開される最新作はどうなるのだろう。

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