「デッカード」はユニクロっぽいTシャツを着るか? 『ブレードランナー 2049』68点

宣伝の段階では全く期待していなかった。
ポスターがダサかったからだ(ハリソン・フォードが着てる服がユニクロにしかみえない)。

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ムツカシイことを言うのが好きな人は、「人間とは何なのか? レプリカントを通して問いかけている」とか言いそうだが、それは手塚治虫でじゅうぶんです。そういうことよりも、「これまで見たことがない映像」を期待して映画館に足を運んだのでした。

その意味でいうと、半ば期待外れだった。

まず、期待を上回った点から。

ものすごく良いと思ったのは、「デッカード」に会いに行って、一緒に酒を飲むあたりまでの画面。
オレンジ色っぽい画面が綺麗なのが素晴らしい。

ラスベガスの出し物(プレスリーやマドンナをリアルに再現する立体的なプロジェクター)が壊れてて、そこで殴り合う場面もよかった。
二人が交わす『宝島』トークも、なんかいい感じ。

あとはさまざまなガジェット。ウォリス社の社長の周りに浮いてる黒い石みたいなのとか、なんかワクワクした(でも、社長が耳の後ろにUSBみたいなの差し込んでるのは、なんかアナログでした)

 

期待外れだった点は以下のとおり。

レプリカントが子どもを産んで、その「奇跡」の謎を・・・とかいわれてもなー、なんかもうその時点で乗れなかった。
しかし、そもそも前作の『ブレードランナー』も、熱心なファン意外は微妙だと思っていたわけだから、前作並といったところか。
「ジョイ」という、ウォリス社が作った部屋の中だけの女の子が壊された怒りを、もっと爽快に晴らして欲しかった。

あと、「K」の上司の「ジョシ(ダジャレっぽいが)」がバカなのもどうか。「K」が「子どもは処分しました」って言ったらそのままアッサリ信じていた。いくらレプリカントが嘘をつかないとはいえ、普通は証拠を求めるやろ!あの上司は無能。ドヤ顔で酒を飲んで「K」にたいして思い出を語るように命令するところとか、ハラスメントやし。

もっと魅力的に描けたんじゃないかなと残念だったのは、ゴミ処理場になっているサンディエゴ。なんかどこかでみたことあるような荒廃感で、正直退屈だった。もっと変な武器とか、変な習慣・ルールを見せて欲しかった

 

ガラガラだろうと思って映画館に行ったら、意外と混んでいたのが驚き。話題性はあるからなあ。
右隣が女性二人組で、うち一人は明らかに映画が興味なさそうで、途中で携帯を触り出したので辛かった。
確かに、やや長いかなと思ったけれど、携帯は止めてくれ・・・

 

「K」にライアンゴズリングを配役したのが良かったと思う。「能面」って感じの彼の顔が役に合っていた。
「ラブ」という名前の敵キャラも良かった。
演出で気に入ったのは、記憶を遡って木馬をゲットするところ。
「K」が「デッカード」の子どもだと確信してしまった。うまく騙された~。

 

CIAはデウス・エクス・マキナか 『アトミック・ブロンド』54点

 シャーリーズ・セロンは綺麗で強く、音楽はかっこいい。
映画のなかのニュースで、音楽の話題として「サンプリングの是非」のコーナーがあったが、わざわざそんなニュースをピックアップするあたりが憎い。
個性的なスパイたちが騙し、騙され・・・的な展開もおもしろい。
おもしろいだけに、どうしても許せないのがラスト。
結局はCIA善玉史観で片付けてしまう底の浅さが残念だった。
CIAのラストに拒絶感を持ってしまったのは、『バリー・シール』を観たばかりというのも、関係しているかもしれない。
画面のかっこよさと予想外の展開に魅了されて、こっちがバカになった瞬間に「アメリカ万歳」を吹き込まれたようで、不快だった。

絶賛している人は多いが・・・どうなんだろう。
でも、かっこいい。それは間違いない!

だから『バリー・シール』と同点!!

もっとバカになれ! 『バリー・シール/アメリカをはめた男』 54点

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監督と主演が『オール・ユー・ニード・イズ・キル』と同じだと言うことで気になっていた。
要は、CIAとコロンビアの麻薬組織にうまく使われて(自分ではうまく両者を使いこなしたと思い続けて)、最後は殺された犯罪者の「事実に基づいた物語」(BY戸田奈津子 二カ所くらい、意味不明な字幕があった)。
客引きのためか、副題は「アメリカをはめた男」となっているが、はめられたのはどちらか、一目瞭然だろう。
ただ、バリー・シールがやったことはスケールがでかく、気になる人物ではあるから、映画化されるのも納得。
映画では、当時のレーガン政権とその側近たちをいい感じでバカにしていて、好感を持った。

 

映画を観ていてもっともアガったのは、次の場面。
主人公のバリー・シール(トム・ハンクス)が、金を稼ぎまくるわけだが、使う暇もないし、管理する暇もないくらい忙しい・・・、という場面だ。
バリーが金持ちすぎるので、その町に従来からあった銀行や信用金庫だけでなく、他の銀行も支店を開く。
それでも預けきれず、バリーは家のクローゼットや、靴箱なんかに札束を詰めまくる。
それでも金が増えるので、最終的には埋めるのだが、埋める場所もなくなっていく。
バリーのもうお金にウンザリ・・・という感じの表情がよかった。

でも、同じ場面が、不満でもある。
もっとバカさが欲しかったのだ
たとえばスコセッシの『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のような、成金のバカっぽさが欲しかった。

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この映画『バリー・シール』には、魅力的なバカが何人か登場するのだから、それをうまく使う方法もあったのではないか。
たとえば、バリーの妻。みるからに頭が悪そう。
それに輪をかけて頭が悪いJB(バリーの妻の弟)。
この二人をいかした、もっとクレイジーな金の使い方を観たかった。
特にJBという人物はかなりの「逸材」。
JBのバカな顔と服装を観るためだけに映画館に行く価値は。。。ないかな。

 

あと、バリーがコロンビアで豪遊するとか、そういうところも観たかった。なんというか、主人公が思ったよりも常識的というか、普通なのが映画として微妙。
それは単に観客の願望というよりも、そうしたほうが映画のラストが悲しくて作劇上も良い気がする。

結局、わかったのはアメリカという国の一部分が根強く持っているバカさ加減で、でも、そんなことはもうみんな知っている。
そもそも、レーガンが(政治家になることはあり得るが)総理になることがおかしい。シュワルツネッガーが(政治家になることはあるだろうが)、州知事というのもおかしい。
これは、俳優に対する差別ではない。
アントニオ猪木が政治家なのはおかしくないが、州知事や総理になるのはおかしいのと同じである(では二世議員ばかりを選び続けている日本の各選挙区の人たちがバカではないのかというと、それは難しいが。というか、政治家の資質って何?という根本問題にいくので、話はこのへんで切り上げる)。

話がそれたが、そうしたバカさ加減なら、すでに知っているのだから、そうではない、僕が知らないような、クレイジーなバカたちを観たかった。
とにかく、ダラダラと長く感じたので、低評価。

B級映画の最高峰(ただし映画館で観るべし) 『新感染』93点

移動し続けている映画は、それだけでなんかワクワク。
『マッドマックス 怒りのデスロード』は車で、ポンジュノの『スノーピアサー』は電車で、ほぼずっと移動していたから、あんなに良い映画になったのだと信じて疑わない私である。
思えば、中上健次はどこかで(記憶では『現代小説の方法』という本)、小説というのは移動です、と言っていた(まあ、中上健次はそういう思いつきをいろいろ断言することが多かったのだけれど)。
話を戻そう、『新感染』である。
現代の『釜山へ』のほうが、味があって好きだが、内容がいいのでダサい邦題も気にならなかった。

冒頭10分くらいの「キム代理」との会話とか、自宅に帰ったら娘がさみしそう・・・とかいう描写はどうでも良くて、舌打ちしたい気分でぼーっと観る。
「はやく移動しろよ移動」「追われろよゾンビに」。
としか思えない。

で、移動しながら追われるところからワクワクで観る。

脇を固める登場人物たちが良かった。
レスラーみたいな兄ちゃんは、見た瞬間「あ、死ぬな」と思ったらその通り。
でも、それ以外のキャラクターたちは、まさか死ぬなんて!の連続(とくに年老いた姉妹と主人公)。
バス会社社長のクズっぷりは非の打ち所がなく、春の風に似た爽やかさえ感じた(もっと悲惨に死んでも良い)。

とにかく面白く、何も考えずに映画の世界に没頭できた。そういう意味では、エンターテイメントのお手本だと思う。
ゾンビ映画・パニック映画の約束を踏まえつつ、コンパクトにまとめた監督の手腕に脱帽。ただし、ややCGが雑にみえた。もっとお金をつぎ込めばすごい作品になっていただろう(前日譚がアニメになっているようで、映画本編が始まる前に宣伝をしていたが、アニメは絵が無理だった・・・残念)。

 

話はまったく変わるが、93点という高得点をつけた理由は、主演俳優のコン・ユにある。

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これまで見てきた映画のなかで一番かっこいい東アジア人は、『クリーピー』の東出昌大かな、と思っていたが、それを超える男前でしたな。

福山と役所の顔 『三度目の殺人』72点

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退屈な絵が続いたが、さすがは福山雅治役所広司
福山は顔が写るだけでなんとか映画を引っ張っていくし、役所広司も「あ、こいつ危ないかも」と「ものすごく考えてる人なのかも」の中間をいく演技が見事だった。
是枝監督は、映画のなかで数回、これ見よがしの絵作りをする。
今回は、福山の夢(雪の中)と、最後の面会(ガラスのなかで福山と役所広司の顔が重なる)。
そうした「絵」は、監督の「ドヤ顔」が見える気がして、ちょっと反応に困る。

役所広司が二回目の殺人をした理由は、広瀬すずを救うため(あるいは悪を裁くため)であり、土壇場で無罪を主張したのも広瀬すずを守るためだったーーー、と読むのが自然だし、福山はそのように考えるわけだけれど、役所広司はそれも曖昧にはぐらかしてしまう。
こうした「真相」を明示しないという手も、まあ余韻が残るし、それはそれで良いのかなと思うが、でも「ないものねだり」がしたくなる。
「真相」を明示せずに余韻を残すのは良いが、余韻を残すことによって、どのような問題意識が浮き彫りになるのだろう。
司法制度と人間精神の齟齬? まさかそういうことではないだろう。それならもう少しそういう会話をさせるべきだ。
死刑制度? いやあ「三度目の殺人」というタイトルだからといって、そういうわけでもない気がする(でも、役所広司が、自ら死刑にもっていくあたり、そしてそれに福山も手を貸すあたりは、良かった)。
そのあたりが明確に受け止められないので、単に「曖昧に終わらせるために曖昧にした」という「手法のための手法」にみえてしまったのが残念。
したがって、65点と言いたいが、役所広司が一回目に殺人したときのことをもう少し掘り下げるべきだと思ったのでマイナス10点
福山の娘のエピソードはバッサリ切るべきなのでマイナス3点
福山雅治が好きなのでプラス10点(福山になら掘られてもいい)。
役所も好きなのでプラス10点。
で、計72点

ちなみに、役所広司は名字が覚えやすいが、書きにくい。
「福山が」という風に呼び捨てにして書くことは簡単だが、「役所が」と呼び捨てにすると、たとえば「やっぱ役所が大好き」という表記になり、公務員礼賛ブログになりかねない。

ダークヒーロー系映画の良作 『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』71点

日本のアニメから着想を得たイタリア映画ということで、気になっていたが、ようやく観ることができた。
上映前の館内にはアニメ主題歌が流れていて、いい感じ。

主人公が住む町は30年前くらいにできた郊外のニュータウン的な場所だ(名前は忘れた)。
主人公は早くに親を亡くし、10代前半からヤンキー仲間と非行を繰り返してきた。
その仲間たちも、犯罪などに巻き込まれて死んで行き、いまは主人公は一人ぼっちだ。
単独で軽犯罪を繰り返し、盗品をマフィアの下っ端に売って食いつないでいる。郊外の若者の貧困と劣悪な環境を(わりと類型的ではあるものの)しっかりと描こうという意図が伝わってきた。


さて、超人的パワーを身につけた主人公が最初に行うのは、ATM強盗。
次にやるのは、マフィアが狙っている輸送中の現金を、マフィアの眼の前で強奪するというミッション。
この時点では、まっすぐなクズ。
こういう生活の中で、主人公がある女性の世話をするはめになり、その女性との交流のなかで「正義」に目覚めていく過程を、丁寧に描いている。

 

ダークヒーロー映画と言えると思うが、どうしようもない街のどうしようもない人間たちの、丁寧な描写に共感を持った。

特に主人公の部屋の汚い感じが上手だった。
机にも床にも、シケモクだらけの灰皿がある。
アダルトDVDが散乱した床。
数年洗ってないのではないかというシーツ。
食べ物がろくにはいってない冷蔵庫。
ヒロイン役もなんか汚い感じで、それも良かった。
主人公もヒロインも、いわゆる「美男美女」ではなく、それがリアリティをかもしだしていたと思う。この二人が心を通わせる、遊園地の観覧車の場面は、忘れがたい。

主人公が超人的パワーを身につけるきっかけは、放射性廃棄物による被曝であり、昔からよくあるパターンだが、敵もまた同じ場所でパワーを身につけるというのが面白かった。

気になったのは、悪役のチープさと、ビミョーなグロテスク描写。わりとあっけないラスト。
ここをどうにかしていたら、もう少し面白くなったのではないか。
敵をもっと悪く、強くして、その敵とのラストバトルの際に、あのマスクをかぶるような脚本なら、より熱くなれたのではないかと思うが、どうだろう。

最後に一点。

最後の時限爆弾演出、あれはもうやめてくれ。ほんとに。

全世界の映画監督・脚本家のみなさま、のこり○○秒!!とかの時限爆弾で緊迫感を出す最も安易な演出だと思いますよ。

 

永井豪ダイナミックプロによる原作アニメは観たことがないし、これからも観ることもないだろうけれど、設定とかは気になったので、すこし調べてみようかな。

今年1番 『マンチェスター・バイ・ザ・シー』94点

ネット上で、監督が本作の結末を「ハッピアー・エンド」と呼んでいた。

強引な「ハッピー・エンド」ではなく、冒頭と比べると少しだけ幸せになっている、という意味だろう。
とってつけたような完全無欠の幸福は、夢でしかない。
夢を振りまく映画のなかにも、良いものはあるが、たいていは鼻白む。
それよりは、本作のような映画がいい。
よく見ないとわからないような、微妙な前進、微妙な回復を、丁寧に描いた映画だった。

自らの過失で大きな傷を負い、生まれ育った町を出てボストンに住む主人公。
季節は、主人公の心情の表れか、冬に設定されている。
主人公の仕事は、マンションの「何でも屋」。
トイレが詰まれば直し、雪かきをし、配管を直す。
部屋は質素で、友人はおらず、趣味らしい趣味はない。
夜酒場に行って、黙って飲むことはあっても、女性との接触は避け、深酒をしては喧嘩をする。
明らかに心を閉ざしている主人公の世界は今にも崩れそうで、危うい。

その主人公の元に、ある日、電話が入る。
兄が死んだのだ。
兄は離婚し、両親も死んでいたため、主人公は葬儀の手続きなどのために帰らねばらない。
兄の息子はまだ十代で、兄の遺言もあり、主人公は後見人になる。
こうして、主人公と甥との共同生活が始まるのである。
主人公は兄の財産を整理し、甥を連れてボストンに帰ろうとする。この町では生きていけないからだ。
しかし、甥の方は、友人やガールフレンドがいるこの町を離れたくはない。
じゃあどうするのか。主人公と甥は、主人公は後見人を兄の友人にゆずる。
甥のためにできるだけのことをしたうえで、しかし「この町には住めない」と決めるのだ。
トラウマ的体験を「乗り越えられないんだ」と甥に正直に吐露する主人公を、誰も責めることはできない。

俳優たちの些細な表情や、立ち姿が素晴らしいこの映画だが、ハイライトは、主人公が前妻と道端で再会するところだろう。
すでに再婚し、子を産んだ前妻は、かつて自分が主人公を責め、自分だけが幸せになっていることを詫び、泣く。
そして、主人公をお茶に誘うのだが、それに対する主人公の反応が、胸を打つ。
あの演技に、この映画の価値が詰まっているように思った。

忘れられない映画になりました。